「ベルト2本のハムザにもわかるまいっていうけど…」というハーディ・アル・アーミリーのぶら下がりインタビューで、「ベルト2本のハムザ」ってなんだろうと調べてみました。
ハーディ・アル・アーミリーはバドル軍の指導者でIS掃討作戦の時にシスタニ師が発令したジハード・キファーイーのファトワ(宗教命令)に応じて集まった国民義勇兵達のハシド・シャービーという準正規軍の指導者でファタハ連合に属する政治家で元交通通信大臣。
それでわかったのは、「ベルト2本のハムザ」というのは、ヒジュラ暦11世紀に亡くなった預言者ムハンマドの末裔のアフマド・アル・ムカッダス・アル・グレーフィーというイマーム(イスラムの聖職者)。「東のハムザ」という意味のアルハムザ・アッシャルキの名でも知られている人のことでした。
70歳の高齢にも関わらず、盗賊と勇敢に戦うも敗れて、17歳のいとこで妻の女性と乳児の全員が首を切られて殺され、荒野に野ざらしで3日とか7日とか放置されていたところ、通りがかりの人たちが遠くで光を放つものを見つけ、なんだろうと近づくと無惨に殺された聖職者と若い妻と乳児の痛ましい姿だった。可哀想にと涙を流し、墓を掘って、遺体を清めて埋葬し、祈りを捧げたところ、この墓にお参りに来てくれる人たちに良いことが起こるようになり、次々と願いが叶ったという話が広まり、かつては雑草が生えていたところから、寄付金でどんどん立派な墓廟になっていって、より多くの人たちが祈願に訪れるようになったそうです。
特に揉め事の和解にご利益があるとされていて、命日と40日に沢山の人が追悼に来るそうです。
大柄で2本のベルト(多分これは右と左に刀を差していた両刀使いだったと思うのですが、間違っているかもしれません)を締めていたところから、「2本のベルトのハムザ」と呼ばれるようになったのだそうです。
ディーワーニーヤにある名所だそうです。アーミリーがディーワーニーヤ出身だから、「2本のベルトのハムザにも2021年選挙後の組閣の行方はわからない」って話しかけたのですね。
イラク出身でもバグダッドっ子でスンニ派だと、聞いたこともないお話でした。
ましてや日本の皆さん。日本で買うイスラム関連の本を何冊読んでも、外国語の専門書を何冊読んでもこんな話は出てこないですから、イラクの宗教の実態なんか理解できるわけないです。
むしろ本に書いてある正論は一般市民の宗教観とかけ離れているともいえます。
どっちかといえば、首塚とか死後怨霊と化して信仰の対象となるなど日本の宗教観に近いでしょう。
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