文化ネタ

イスラムの詩のおはなし

ふと目にしたこの詩が気になりました。
出版社の社長さんがペルシャ語翻訳家に問いあわせて下さり、解説を送って下さいました。
この詩はイスラム神秘主義(スーフィー)の精神や奉謝に類する詩で、
『主よ、愛(の道を極めんと)する者は幸いである。
彼らは世捨て人になり、(神に)到達するする辛労を受け入れた。』
という意味だそうです。
言葉以外の文化などの知識がないと翻訳はできないなあとつくづく思いました。
教えて貰った後なら、英語でも “buy it”は「それを買う」だけでなく、「それを信じる」
「それを受け入れる」という意味があるなとわかりますが、直ぐには思いつきませんでした。
スーフィズムの詩だという前提がわかってないと、どの訳語を使うべきかわかりません。
そう思って眺めると、翻訳者の訳と機械翻訳の差の著しいこと。
いまひょんなきっかけで、アラブの『酒詩』を調べています。
なんとアラビア語には『酒』の別名が100もありました。
例えばコーヒー。英語のcoffeeの語源になったアラビア語のコーヒー、「カフワ(قهوة)」に
定冠詞をつけた「アル・カフワ(القهوة)」には酒の「ハムル(الخمر)」という意味がありました。
隠語で酒を指す言葉もたくさんある事を知りました。
例えば、ウム・ライラ(ライラのお母さん)という意味で、ライラは女性の名前なのですが、「レイラのお母さん」は「お酒」という意味だと知り、大変驚きました。
知り合いにもいる名前が天国に流れる酒の泉の名前だったり、酒の川の名前だったりもしました。
でも悪い意味ではなく、とても美しい単語で人名にも用いられているのです。
それは別に酒に限られる事ではなく、例えばアラビア語の女性の名前で、「胸の大きな女性」という意味の「ナーヒダ」「二ハード」というのがあります。
ナーヒダが巨乳ちゃんと思うと、うわあと思いますが、美しいアラビア語で性的な事を連想させるような卑猥な言葉ではありません。悪い意味のない、尊い単語なのです。
イスラム以降、飲酒は禁じられていますが、精神的なものを意味する崇高な意味で酒や酔いや盃が喩えに使われていて、このジャンルの詩を「酒詩」アラビア語で「ハムリーヤート(خمريات)」といいます。
イスラム以前のメッカではカアバ神殿参りのハッジの季節にウカードの市場(سوق عكاظ)が開かれる時に、詩のボクシングが行われていていました。
特に優れた詩はメッカのカアバ神殿に掛けられ奉納された事から、これらの詩は『掛け物』という意味のムアッラカートと呼ばれました。
アラブの百人一首のようなものと思ってください。今も皆がムアッラカートの詩を愛でています。
ハッジの後のムハッラム月(ヒジュラ暦の月名と同じ)は戦が禁じられている月だったので、
遠方からカアバ神殿参りに来た人たちが、購入した品々や売上金を持って、故郷に帰り、
ウカードの市場で聞いた詩を皆に伝えていました。
ウカードの市場は現在も観光名所です。
そんなで詩のボクシングで勝った詩人、特にムアッラカートになった詩人たちは大変な名声を得ていました。
その頃のアラブの部族では優れた詩人が一人誕生すると、大喜びしていました。
というのも、アラブの戦と詩は切っても切れない関係があるからなのです。
詩人は戦士達と戦場に向かい、戦の前に味方を鼓舞し、敵を扱き下ろす詩を詠んでいました。
アラブ人というのは詩で詠まれると、そこで言われていることは自分のアイデンティティになると考える人たちです。
なので誇張された賛美であっても、それを真に受け、その言葉通りの立派な人間のように振る舞おうとしますし、貶されると、喧嘩の売り言葉に買い言葉とは思わずに、聞き捨てならないとムキになり、日本人には理解できない激しさで怒ります。
それほど言葉を大切にしていて、言葉に励まされたり、傷ついたりする人たちなのです。
ですから、一人の詩人の言葉は千人力の戦士に匹敵しました。それゆえに優れた詩人が部族から誕生するととても喜んだのです。
イスラム以前の『掛け物』にされたムアッラカートの詩にも「酒」は出てきます。
有名どころだと例えば、イムルウ・アル・カイス(امرؤ القيس)などがいます。
イスラム以降、アッバース王朝時代に「酒詩』で名声を馳せ、現代も知らない人はいないという詩人がいます。
その名を「アブ・ヌワース」といいます。
じつは、アブ・ヌワースはかなりのイスラム法学者で、イスラム法学を隅々まで学び、
完全に理解し尽くした上で、絶対にハラーム(コーランで許されたを意味するハラールの反対語で、コーランで禁止されたものを意味する)で不徳義と批判させない酒を讃える詩を詠むことをライフワークにしていました。
酒と聞いたら眉をひそめ、飲むなんてとんでもない!という人たちまでもが感嘆するほどの美しい詩を読み、「酒詩」をそれまでのアラブの詩には無かったこの上なく美しいものにまで極めてしまいました。
未だアブ・ヌワースに勝る酒詩は現れていません。
わたしは高校の国語の時間でアブ・ヌワースを習いました。
バグダッドにはチグリス川沿いにこの詩人の名前にちなんだアブ・ヌワース通りというのがあります。
60年代くらいまでは家族がチグリス川沿いの公園で子供たちを遊ばせ、川沿いに沢山あるマスグーフという川魚の炉端焼きのバグダッド名物の魚料理を食べたりしていたそうですが、私が覚えている70年代80年代のアブ・ヌワース通りは飲み屋さんが軒を並べていました。
今のバグダッドでは魚の養殖が増えて、街の至る所にマスグーフ屋さんがありますが、当時はチグリス川沿いにしかなく、川で釣った魚を生簀に放って、レストランに入るときに選んだ魚を生簀から引き上げて、その場で料理して出してくれるという感じでした。
釣った魚を道端で売っている少年たちもいました。普通の家の人たちはそんな魚を買って、家で料理していました。
お店のマスグーフに舌鼓を打つ人達は、皆アラクというデーツ酒やイラク産ビールのシャハラザードをぐびぐび飲んでいるのが、通りの車の中から見えていて、なんか柄が悪い場所という感じになってしまっていました。
確か90年代、見えるところでの飲酒禁止令をサダム・フセインが出し、その後アブ・ヌワース通りの飲み屋の営業禁止令が出て、飲み屋が一掃され、アブ・ヌワース通り沿いの公園やレストランに家族が戻ってきました。
私が高校生くらいの頃はアブ・ヌワースは柄の悪いアブ・ヌワース飲み屋通りのイメージだったので、酒詩も本当の飲酒、酔っ払いのイメージから切り離せていませんでした。
アブ・ヌワースの詩といえば、如何わしいものなのだと思い込んでいました。
でも酒詩は崇高な精神を詠んだものなので、スーフィズムとも深い関係にあります。
イラクなどではスーフィズムはサラフィーの原理主義と同じくらいに良くないものと考える人たちが沢山います。
何年も前の話なのですが、トルコ人作家のエリフ・シャファクの”The Forty Rules of Love”という本が素晴らしかったと私が絶賛したら、イラク人の友達が誰かにその話をしたようで、スーフィーの物語だそうじゃない。そういう類の本は読まない方が良いとアドバイスされてしまいました。
宗教と政治は人と議論をしてはいけないので、黙っていました。
その後、わたしに読むなと言っときながら、どんなきっかけがあったのかその本を読まれて、
「アビール!あの本素晴らしい!」と。やれやれ。
その本は英語訳で読むより、アラビア語訳で読めばイスラム専門用語がそのままになるので、
より深く理解できるだろうとアラビア語版も入手したのですが、積読になっています。
何かの翻訳に困った時、この小説の訳はよい資料になってくれると思います。
つらつら書いてたら、こんな長文になってしまいました。
与太話につきあわせて申し訳ございません。
ぜんぶ読んでくださった方に感謝!
بیت الشعر هذا يدخل في مفاهيم التصوف و العرفان و يقول الشاعر:
يا رب كم هم محظوظين العاشقين (السالكين )
اشترو المتاعب الوصول( الي الله ) و تركوا ما في الدنيا.
ABOUT ME
アビール・アル・サマライ
イラク・バグダッド出身。バグダッドのテクノロジー大学コンピューターサイエンス学部卒業。湾岸戦争後の1991年末に来日。アラブ・イスラム言語文化専門シンクタンク「ハット研究所」所長。中東情勢や中東メディア報道研究、イスラム・中東問題の勉強会、ハラルやムスリム対応のビジネスコンサルティングなどを手掛ける。外務省研修所、慶應義塾大学、学習院大学非常勤講師。NHKアラビア語ラジオ講座出演。